昭和46年2月26日夜の御理解 入力者 大坪謙一
一から十まで金光大神のお取次ぎを頂いて私ができる事じゃない。いつもそう思う。
神様のおかげを頂かなければ出来ることではないとしての土台が、言うならあのお宅の
信心があの御祭りに( ? )ふうに現われておった事が一番ありがたい。
ね、だけんあとからあのー御理解を頂きましたのも、ね、おかげは和賀心にあり。
ね、「おかげになる心は、おかげは和賀心にあり」と言うのは簡単なことですけれどもね例えばね、あの御祭りがもし大和さんが育ってあれだけの御祭りがでけたとしてもです。ね、おかげは我力でされとったら・・・和賀心やめて( ? )たらあいうありがたいおかげになってくるわけです。
このところ私は昨日んー、伊万里からちょうどあちらへ( ? )ちょっと前に、
(お参りにいったわけですこのたび?)お母さんが(?)。そこで私が、んー、一緒に ( ? )かかられてお願いさせて頂けばよかろうとこう申しました・・・。
ね、それはね我さい、我力で( ? )です。
そしてその事を頂いて( ? )ことが、簡単に説明しましたら、もうそれこそ(?)信心。( ? )まで、実はこうこうでしたといわれるのがです。
ね、伊万里の病院にもかかってみました、あー(?)福岡の医大にもかかりました。
ところがね、病気じゃないっていうわけ。( ? )それが原因じゃないと言われるんですね。
単純に自分の我欲、自分の力で、ね、例えば薬や医者のおかげでなおろうとなったけれども・・・ね、その事を言わばふせて、あっちも頼んだこっちも頼んだ時にいけんから、どうぞお願いしますと言う・・・ね、おかげは和賀心じゃなくて、おかげはお医者さんにあり、おかげは薬にありといったような考え方をしておるということ。
ね、だからあなたがそこまで言われるならば私も( ? )させて頂く。ね、そんなら、( ? )薬も、その( ? )なったわけですから、ね、だからそこんところを、御詫びしなければいけない。我力でしようと、我力でよくなろうと。薬のおかげでよくなろうと、医者のおかげでよくなろうと思うその事を御詫びしなければならない。
(途中切れ・・・)